九州ツアーはじまりからおわりまで(その2)

たとえ失恋したその日でも結構ぐっすり眠れちゃう、寝つきの良さでおなじみの私ですが、出演依頼のメールを送った日はすっかり興奮してしまい、何年ぶりかのなかなか眠れない夜を過ごしました。(結局は寝る。)

 

暇がある時にはメールボックスを確認してやきもきするという落ち着かない数日間を過ごした後、ついにお返事が届きました!

書きながらこの時のことを思い出して今どきどきしてます。

 

ご担当の方は仲原さん、、、仲原さん!?ハトヤの人やん!!

言われてみれば、王舟さんのアルバムはfelicityからリリース、そして仲原さんのツイッターアカウントにも「felicityのA&Rもやっています」とありますが、そのあたりが自分の中で繋がる訳もなく、ただただびっくりしていました。

そして、ちょっと運命的なものも勝手に感じていたり。

 

後日、DOMMUNEでウォンブ特集をやっていた時、磯部さんだったかな?「オーガナイザーは病気」「普通の人がただの偶然と思うようなことを必然だと思い込む」みたいなことを言われていたのですが、それを聞きながらこの「運命的だ」と感じていた時の自分を思い出したりしてました。

 

打診をした当初は、ソロで来てもらってgigiとかでやってもらえたらほっこりしていい感じかも、そしてその規模ならまだ自分の手に負えそうだ、と思っていましたが、ツアーはバンドセットで考えられているということ。

諸条件も確認し、こりゃあ大事になったぞ、と思いながらもこの時点で止まることは全く考えていませんでした。

この日から早速会場探しが始まります。

 

候補の場所をいくつか下見させていただいたりもしました。

会場の方にメールをするのも電話をするのもいちいち緊張していて、そういえば緊張しいだし人見知りがちだし、会場に行ったら行ったで何を確認すればいいんだっけ?とすぐ混乱してしまうし、こんなことで本当にやり遂げられるのか・・・と何度も不安に陥ったりしてました。

そもそも、何の後ろ盾もコネもなく、「えとうと言います。イベントやりたくて会場探してます」っていうのがなんとも、、、ボロ舟で、いや、身一つで大海原に乗り出すような気分とでも言いましょうか。

 

ただ、この間もハルコさんにちょいちょい相談に乗ってもらったり、会場の方が興味を示してくれたりするのを燃料にして動いていたような気がします。

そして何より、この間に「Wang」がリリースされたのも大きな力になりました。「音源聞いて、微妙だったらどうしよう・・・」なんてちらっと思ったこともありましたが、マジで杞憂でした。

誰よりも自分がライブで聞きたいと思いましたし、イベント開催まで、不安になる時にはずーーーっと聞いてました。

 

元々9月~10月頃に開催できたらという話だったのですが、結局メンバーの皆さんの都合がつかず、11月~12月で再調整することになり、8月は空白の期間となりました。

 

まだまだつづく。